江差の物語

日本遺産認定ストーリー

江差の五月は江戸にもない
~ニシンの繁栄が息づく町~

江差の海岸線に沿った段丘の下側を通っている町並みの表通りに、切妻屋根の建物が建ち並び、暖簾・看板・壁にはその家ごとの屋号が掲げられている。緩やかに海側へ下っている地形にあわせて蔵が階段状に連なり、海と共に生きてきた地域であることがうかがえる。この町並みは、江戸時代から明治時代にかけてのニシン漁とその加工品の交易によって形成されたもので、その様は「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどであった。ニシンによる繁栄は、江戸時代から伝承されている文化とともに、今でもこの地域に色濃く連綿と息づいている。

江戸をもしのぐ繁栄の成り立ち

一章

町並みに遺る繁栄

海岸線にそって細長く続く江差の町並み。その江差の町並みにある姥神大神宮は、江差にニシンをもたらしたとされる折居様が自身の庵に祀っていた神像を、江差の人々がみんなでおまつりするために建てたと伝わる。江差がニシン漁と交易でにぎわってくると、本州から多くの人々が移り住み、この江差の町並みが形作られていった。江差姥神町横山家は江戸時代に能登国(石川県)から移り住んだ商人が建て、旧中村家住宅は明治時代に近江国(滋賀県)の商人が建てた。それらの商家は、暖簾や壁に自分の家の屋号を掲げていた。江差の町並みを歩くと、ニシン漁と交易で栄えた江差の面影を体感することができる。

二章

伝わり、育んだ文化

江差は、ニシン加工品の交易をするために北前船でやってきた人々でにぎわった。彼らは様々な文化を江差へ伝えた。そして江差の人々はそれらの文化を江差の風土に合わせて花開かせ、そして育んできた。江戸時代から歌い継がれている民謡の江差追分。この唄は中山道追分宿(長野県軽井沢町)の付近で唄われていた馬子唄(追分節)が、陸路や海路を経て江差へ伝わったとされる。江差の人々は、その歌を江差の海の波や風のような曲調に変えて守り続けている。姥神大神宮の祭礼として8月に行われる姥神大神宮渡御祭は、江戸時代から江差の町中をお神輿と山車が巡行し、ニシンの豊漁を祈願してきた。ニシン漁の熱気あふれる姿は、民俗芸能の江差沖揚音頭で今日にまで伝わっている。

三章

繁栄を生んだ島

伝説では、折居様はかもめ島で神様から水の入った瓶を渡され、その中の水を海に注いで江差へニシンをもたらし、折居様はその瓶を海に投げ入れ瓶子岩となった。折居様がかもめ島でもたらしてくれたニシンにより江差は繁栄した。ニシン漁やニシン加工品の交易が盛んになると、本州から数多くの北前船が江差へやってきた。それらの北前船が帆を下した場所は、かもめ島が日本海からの荒波や強風を防いでくれた北前船係船柱及び同跡だ。北前船の乗組員たちは、いまも岩肌に残るかもめ島の階段跡を踏みしめながら厳島神社で航海安全を祈った。そして江差の人々とともに江差商人の宴席跡に仮小屋を立て、江差追分を聴きながら宴を楽しんだ。

『松前屏風(所蔵:函館市中央図書館)』